太い3本の線が隙間をつくってならび、山型をなしているのが「ADIDAS」(アディダス)のシンボルマークだ。トレーナーやグラウンドコートの胸に、このマークをさん然と輝かせているスポーツ少年たちの姿は、すっかりおなじみだろう。このマーク、じつはただのシンボルではなく、アディダス社の技術の保証と自信の象徴ともいえるもの。なぜなら、もともと自社商品の目玉だった靴のデザインに由来しているのだから。アディダス
シンボルが3本のラインのわけ... の続きを読む
司会者の開宴のあいさつにつづいて、媒酌人のあいさつがはじまります。新郎新婦も媒酌人夫妻ととも起立します。媒酌人が新郎新婦を列席者一同に紹介しているあいだは、いくぶん伏し目がちに前方を正しく向いています。媒酌人のあいさつが終わったら媒酌人夫妻の着席につづいて新郎新婦も着席します。そして司会者の紹介で、主賓が祝辞を述べるために立ちあがったら、新郎新婦はふたたび起立して受けるのがマナーです。主賓はふつう
媒酌人のあいさつと主賓の祝辞... の続きを読む
カルティエやモンブランを有するリシュモングループは手堅くポイントを稼いでいきそうです。バリーを買収したテキサスパシフィコは早くも撤退の予感すら感じさせます。しょせんペットフードの売り上げが大半を占めるという企業グループが、予測不能な“乱数要素”が大きいブランドービジネスを一般企業の計数管理で成功させようというのが無理な話なんです。投資と利益回収との絶妙な分岐点を見いだすのは動物的な嗅覚を持った一握
注目の新人デザイナー、ミギュエル・アドローバー... の続きを読む
私は、東大の教師になるかどうかなんて関心ありませんが、いい学生に教えたい、と思います。ところで、頭のあまりよくない子は、教師についてゆきます。これに対して、頭のいい子は、教師のメニューについてゆきます。だから、メニューのない教師には、頭のいい子はついてきません。ちょっと衝撃を受けたのは、谷沢永一さんの教え子が、卒業後、田舎の高校で教師をしていて、先生が出した最初の著作を読み、その本で示されたやり方
頭のあまりよくない子といい子の違い... の続きを読む
お客さんからのクレームは、ネットショップの悩みの種の一つです。商品の入れ違えや約束した納期に遅れるなど、完全にショップ側のミスが原因という場合は謝罪するのが当然ですが、なかにはお客さん側のカン違いや理不尽な短気が原因のクレームもあります。「こちらは間違っていない」と、ついつい反論してしまうこともあるかもしれません。ですが客商売を続けていく以上、お客さんと必要以上にもめてはいけません。何かの行き違い
仮に100%ショップの落ち度でなくても謝る姿勢で... の続きを読む
リアルタイム電子決済に都銀等が取り扱っているデビットカード決裁を利用する選択肢もある。例えば、富士銀行はインターネットショップでの買い物の代金を利用者の銀行口座から即座に引き落とすデビット決済サービスを開始し、日本交通公社(JTB)など五社と相次いで契約した。インターネットショップにとってもデビット決済は手数料が安いなどメリットが大きい。同行が契約したのは、全国のホテル三千件の予約などがネットでで
デビットカード決裁... の続きを読む
【アコヤ真珠】日本ではもっともポピュラーな真珠です。日本近海に生息するアコヤ貝から採れ、「和玉」ともいわれています。真珠層に厚みがあり、美しく微妙な色合いがあります。アコヤの光沢は真珠でも特に美しいといわれています。色は白、ピンクを帯びたもののほかに、シルバー系のものもあります。サイズは通常6〜7ミリ、大きいものでは10ミリ台があります。「ペビーパール」といわれる三〜四ミリ程度のものもあります。【
真珠の種類... の続きを読む
披露宴の招待状の印刷は、たいてい式場に文例も用意して受け付けています。文例は、時候の挨拶に続いて、「このたび○○様ご夫妻のご媒酌により、太郎と花子が結婚することになりました。つきましては○月○日○○において披露の小宴を催してご挨拶申し上げたく、ご多用中おそれいりますが当日○時までにご来臨くださいますようお願い申し上げます」というようにします。「万障お繰り合わせ……」などとおしつけがましいことは書か
招待状は、おそくとも1ヵ月半前に着くように... の続きを読む
ミラノの服は、ミラノの女のものなのだ。ならば日本の女を美しく見せる服は、なんなのだろう。私はしばし考えあぐねた。しょせん無理があるのではないか。日本の女を最も美しく見せるものは、着物しかないのではないだろうか。そう考えた時、深い絶望感にとらわれた。この異国の地で、着る服がない。誰も、私の服を決めてくれない。誰も私を見てくれない。ここでは誰も、私が生きてきた今までのことを知らないのだ。どんな仕事をや
どの服にも、ひとつひとつに納得で... の続きを読む
応仁元年(一四六七)に始まった応仁・文明の乱により、隣国の若狭守護武田氏との争乱が起こります。この乱の後も、丹後守護職をめぐる一色氏と武田氏による争いは絶えませんでした。明応七年、守護一色義秀が国衆に攻められ普甲山で切腹するなど、「戦国争乱」の時代を迎えます。その後、天下統一を目指す織田信長の命を受けた細川藤孝(幽斎)が、丹後の国衆を制圧。天正八年、信長から丹後国の支配を任されることになりました。
丹後守護職をめぐる一色氏と武田氏... の続きを読む