どの服にも、ひとつひとつに納得で

2011.05.06

ミラノの服は、ミラノの女のものなのだ。ならば日本の女を美しく見せる服は、なんなのだろう。私はしばし考えあぐねた。しょせん無理があるのではないか。日本の女を最も美しく見せるものは、着物しかないのではないだろうか。そう考えた時、深い絶望感にとらわれた。この異国の地で、着る服がない。誰も、私の服を決めてくれない。誰も私を見てくれない。ここでは誰も、私が生きてきた今までのことを知らないのだ。どんな仕事をやってきたのか。なにを考え、なにに感動してきたのか。自分の存在がゼロになったような気がした。それは恐ろしい感覚だった。こんなことはとうてい受け入れるわけにはいかないと思った。ミラノ中に聞こえるような大きな声で叫びたかった。私はこんな人間なのよ、と。私はこんなふうに感動するの。私はここに居るのだ、と。自分をわかってもらいたい。表現したい。焦がれるような気持ちが胸の奥から衝き上げてきた。その時、頭の中でなにかキラリと閃くものがあったのである。ハッとした。これだ、これをファッションで表現しなければ。自分をわかってもらうために服を着るのだ。考えてみれば、物心ついた頃から人がなにを着ているかが気になった。流行に遅れていると焦った。人の目を意識し、人にどう思われるかということばかりで服を着てきた。しかし、その発想は逆だった。人がどう思うかより、人にどう思わせたいか。自分をどう表現したいかということなのだ。まず、自分の内面をじっくり分析してみよう。誰も私のことを知らないのなら、一から私らしさをファッションで作り上げていけばいい。パッと見て、ああ、この人には何かあると思わせるファッション。私の好きな色や形、私の信じてきたものごと、愛してきた時間、そういうさまざまなものを、すべて感じさせるようなファッションを着こなすことができたら、ミラノでゼロになったこともきっと無駄にはならないはずだ。私は自分にそう言いきかせた。そうすることで、自分の本当の「スタイル」が見えてくるかもしれないと思ったのだった。