黄土色の砂と岩で固められたような丘陵が、ちょうど大波を思わせるようにうねうねと連なっている。そしてところどころにある垂直に突き立つ岩の上には、先細りの太い円柱と簡素な円頭が特色のドーリア式の柱が立ち、神殿の周囲をめぐらせていた壁の一部や残骸が散乱している。ここではギリシヤとカルタゴが攻防の火花を散らしている。紀元前四〇五年の夏のことで、カルタゴ軍は二一万という史上最大規模の軍勢を集め、崖の上を目指して総攻撃をかけた。カルタゴ勢の戦法の中には、移動が自在の攻城塔に弓兵と投石兵を乗せ、それを城壁の際まで押していくという戦術があった。作戦は成功、カルタゴ兵は城壁を乗りこえ、中に入ることが出来たが、なんと壁の内側はからっぽで、ギリシヤ軍は全市民を近くの港、ポルト・エンペドクレから逃がしてしまったあとであった。カルタゴ兵は、裕福なギリシヤ人が残していった彫像などの美術工芸品や手のこんだ作りの家財道具を戦利品として持ち帰ったが、カルタゴ人にとってこの戦いは、勝利はしたものの、ギリシヤ人の文化が、実に優雅で優れたものであったことを思い知らされたのであった。神殿の谷を少し歩いてみよう。